対人恐怖症だった過去の話

突然の暴露だけど、自分は小学生低学年の一時期、
「対人恐怖症」になってしまった事がある。

そのときの話をしよう。

■まずはじめに

対人恐怖症というのは心の病だと思ってないだろうか?
内気な人しかならないと思ってないだろうか?

実は誰でもなる。

もちろん遺伝や気質的なものが作用してなる人もいるのだが、
俺の場合、自分で言うのもなんだけど、根っからのポジティブで「対人恐怖症」とは無縁のようなサッパリした性格だった。

そんな俺でも一時期、そういう状態に陥ってしまったのだから、対人恐怖は「環境」次第で誰でもなってしまうものだと思う。

■対人恐怖症とは

対人恐怖症は、対人環境において恐怖心や不安を感じやすくなってしまう「神経症」だ。

「神経症」である。ここ大事。

うつ病もそうなのだが、「心の病」では片づけられない。
心の持ちようだけではなかなか解決しないのを知らない人が多いように思う。

同じ神経症の一例で「戦争神経症 (war neurosis) 」を紹介しよう。

これは第一次世界大戦から帰還した米兵の姿だ。
身体が意志に反して動いたり、痙攣を起こしたりしている。

当時、米軍帰還兵の2割が発症したといわれる深刻な「病」である。
あれだけハードな訓練を積んだ屈強な兵士達でも「神経病」には抗えないのだ。

これを見て「彼は変わった性格の人なんだな」と思う人はさすがにいないだろう。
対人恐怖症も「症状」であって「人格」ではないという点で同じである。

強いストレスやショックに遭遇すると、その状況に対して「恐怖」を感じやすい神経の働きになってしまったり、することは誰でもある。

今回は俺の例を紹介しよう。

◼️万引き犯となった小学低学年時代

俺は先生から『万引き犯』として扱われてた。

当時の俺は人を笑わすのが好きなやんちゃっ子で、テストの解答用紙の「学年・番号」記入欄に「ブタ組5000番」と書いたことから、ブタ組5000番というあだ名で親しまれていた。

そんなやんちゃっ子だから、先生からすれば「あの子が万引きした」と言われても違和感なかったと思う。でもそれは人の「印象」による決めつけだ。

実際は後輩が万引きしたものを、代わりにお店に返しに行っただけだった。むしろ良い事をしていた。
それが学校に知られ、話がこじれて俺が万引きしたことになっていた。ただ「後輩がやった」とも言えなかったので、じゃあ誰がやった?と聞かれてもただ沈黙するしかなかった。

時を同じくして、万引きがばれて先生に怒られていた同級生がいたのだが、
そいつは自己保身のために「あいついつも万引きしてる」と俺のことを名指ししてきた。

そいつの証言によって、俺は近所の駄菓子屋やスーパーで年間200回以上、常習的に万引きをしていることになってしまった。もちろん200回どころか1回もやってないし、全部そいつの作り話だ。だが作り話をしたそいつは「正直に話した」として開放され、先生の矛先は俺へと向かった。

考えてみてほしい。

本当に悪いことをしていたなら誰だって反省できる。でも何もやってないのに反省のしろ!と言われても反省のしようがないし、『犯罪の回数』とか『動機』とか答えられるわけがない。

でもその先生は、答えられないと殴る蹴るの暴力で答えを吐かせようとしたのだから、たまったものではない。

まだ非力な小さな子供にとって、大人の男からの暴力はとても怖いものだった。
人が入ってこないよう鍵の閉められた視聴覚室。嘘の自白をする以外に先生から解放される道はなく、早く終わらせたい一心で嘘の自白をしては、後悔して家で否定をする。その繰り返し。

すると親が学校に呼び出されて、校長先生と担任と四者面談で親が説教される。シングルマザーで働いてた母親には迷惑をかけたくなかったので、これ以上、『やってない』と言えなくなった。

この件で一番許せなかったのは、男の先生が家にまでやって来たことだった。母子家庭なのは知ってたはず。大の男が母子家庭の家に上がり込み、夜遅くに大声で怒鳴ったり、机を叩いたりして、母親を泣かせたのは今でも許せない。さすがに暴力は振るわなかった。

これ以上親を巻き込みたくなかったのと、先生の『親はお前のこと呆れてるよ』の一言でもう抵抗する気もなくなった。

このとき人間不信になっていた。

他の先生からも『問題児』扱いされたり、暴力先生からは『ボタンがとまってない』という理由で胸ぐらを掴まれたり、友達二人で遅刻して自分だけ怒られたり、横断歩道を渡ってなかった、と全く記憶にないことで怒られたり。

子供心ながらに「これがイジメってやつか」と察していた。
いじめは弱い奴がすることだと思ってたので、心の中で先生のことは軽蔑した。

あんな先生には屈しない。
そう気を強く保ってもまだ小さな子供。

次第に人と視線を合わせるのができなくなり、先生だけでなく他の人のことも怖くなっていた。
毎日ライオンの檻の中にいるような感覚で、他人を警戒するようになっていった。

■対人恐怖症の発症

いつしか他人と接するときに、すごくエネルギーを消耗している自分がいて、
今まで波長のあっていたやんちゃ友達と次第に遊ばなくなり、人を避けるようになっていた。
友達が家に遊びに来ても、会うのを避けて家にこもっていた。

たまに朝起きると調子のよい日もあって、その日は恐怖症状があまり出ない。
でも寝て翌日になると、元に戻ってる。その繰り返し。

自分の内面に何か変化が起こってるのが分かったが、それが何なのかはわからない。
人の目を見れなくなり、廊下を歩く時も下ばかり見てた。
対面席に座ることができず、給食の時間、対面する席の子と目が合うのが気になって、食事を早めに切り上げていた。

そんな毎日。

一方、この頃とある同級生とお昼休み一緒に過ごす時間が増えていた。
彼は対人恐怖症だった。

いつも無口で下を向いてて、まともに言葉も交わしたことがなかったが、
このときの俺とは波長が合ったのか、よく喋るようになっていた。

彼にまつわる話を聞いていると、彼も家庭で父親から暴力を振るわれていた。
彼はいつも殴られないように父の顔色をうかがっていたという。

・・・俺と同じじゃないか。

大人の身勝手に振り回され、暴力でねじ伏せられ、自分を出せなくなった彼は、今の自分を見ているようだった。

「そのままじゃダメだよ!」
「俺たちは大人のおもちゃじゃない!」

そうアドバイスしていた。

そして自分自身に対しても「このままじゃダメだ!」と思うようになっていた。
今まで服従するしかないと思っていた先生に対して、反抗してやろう、という気持ちが強くなっていった。

■武道の精神との出会い

同じような境遇の同級生に出会って、大人の身勝手さに気付き、
その同級生の「親の言いなりになってる姿」を見て、そのままじゃダメだ!と気づいた。

もし、今心に闇を抱えてる人がいたとしたら、
子供の時に自分の前に立ちはだかった恐怖の存在に飲み込まれてしまったのではないかと思う。

俺は反抗する!

といっても発想は子供だったので、「先生と戦ってやり返そう」としか考えておらず、柔道を習った。
もちろん力で敵うわけないし、柔道技で先生を投げ飛ばすこともしなかったのだが。

ただ柔道の先生に教わった、正しいことを貫く「武道の精神」が、先生に捻じ曲げられた精神を元に戻してくれた気がする。いつの間にか対人恐怖がなくなって、元の自分を取り戻していた。

もしあのまま暴力先生に逆らおうとせず、心に闇を抱えたままだったら、俺は大人になってもずっと対人恐怖に苦しんでいたかもしれない。柔道先生には感謝しても感謝しきれない。

ちなみに柔道先生はサムライのように凛としていて、正しいことは正しい!と言える人だった。
「・・・かっこいい。こういう大人になりたい。」俺はその先生を尊敬するようになっていた。
先生に「負けるな!」と背中を押してもらってるような感じさえした。

■暴力先生への反撃

まず手当たり次第、「先生がカギを締めて暴力で自白を強要した」ことを周りに言いふらした。
それはある女性教師の耳にもとまり、その女性教師は俺の話をしっかり聞いてくれて、暴力先生にも問いただしてくれた。俺にはその女性教師が女神のように見えた。

でも暴力先生は「殴ったりはしていない」と嘘をついた。

あれだけ自白を迫って正義面してたのに、自分の立場が危なくなると簡単に嘘をつくのか。

薩摩の古い郷中教育に

「負けるな、
嘘をつくな、
弱いものをいじめるな」
という言葉がある。

これも柔道先生に教えてもらった言葉なのだが

「嘘をつくこと」と「弱いものいじめ」をすることは悪いことだけど
それに屈して「負けてしまう」ことも同じくらい悪いこと、という教えだ。

今目の前にいる、「弱いものいじめ」をする「嘘つき」には絶対負けてはいけない!
そう思った。

■結局どうにもならなかったが・・・

結局先生の暴力は証明することができず、先生からはネチネチした嫌がらせを受け続けたが、
小さな時に自分より大きな大人に立ちむかった経験は、その後、中学~高校となっても自分の誇りの一つになっている。

今どんなに怖くても、勇気をもって誇り高い行動ができれば、
それは一生自分の心の奥底で、自分を支えてくれる「自尊心」になる。
自分に自信を失いかけても、過去の自分が支えてくれるようになる。

だから自分自身に対してはいつも誠実に生きよう。
卑怯な行動はしてはいけない。

■対人恐怖症について思うこと

あの時、俺が一時的に陥った対人恐怖症の世界、

もしこの世に、別の選択をしてしまった「並行世界」があるのなら、
あの時「先生に立ち向かうことを諦めて対人恐怖症を引きずってた未来」もあったかもしれない。

症状が軽いうちに治せたから良かったけど、泥沼化していれば簡単には治らなかったかもしれない。

そう考えると今恐怖症で苦しんでいる人達が、「違う世界の自分」のように思えて、他人事とは思えない。

ただ、だからといっていたずらに『俺が克服できたんだから大丈夫だよ』と自分の物差しで決めつけるのは、その人の苦しみを無視して失礼だと思ってる。自分より遥かに深刻な症状で苦しんでる人達もいるはずだ。(心当たりがあって、その人には本当に申し訳なく思っている)

対人恐怖の克服はとても大変なことだと思う。

でも恐怖症で苦しむ人がいたら、俺は例え救ってやることはできなくても、痛みを分かち合ってあげたい。

君が苦しんでるのを見るのは俺も苦しい。

※追記

視線恐怖の克服方法について。

記事中ではざっくりと『柔道やりはじめてたら良くなった』としか書かなかったですが、実は克服のために自己流でいろいろやってました。

超能力者になるために毎日瞑想したり(笑)
毎日走り込んで気持ちを強くしたり!
もちろん柔道も暴力先生をやっつけるためにはじめたわけです(^_^;)

ただ一番効果があったかな~と思うのは

◼️1日中下を見ない
◼️目線2秒ルール

の2つかな?

自分が、カッコいいなーと思う大人や、アニメのヒーローは皆、前をみて堂々としているからカッコいいんだ。という単純な考えで、
「うつむいたりしないようにしよう!」と思い立ち、

目が合っても下にそらさない、つまり水平にそらすか、斜め上にそらす、感じを一日ずっとやってました。視線恐怖症には意外ときつい。

目線2秒ルールは、今でいう『認知行動療法』ですが、

これは人と目が合ったとき、最低でも2秒目を合わせてからそらす、というものです。

もちろん1日中ずーっとという訳にはいきません。疲れてしまうので(笑)
1日の中で、要所要所で行いました。

慣れてくると3秒に増やしたりもして、人と目を合わせる時間の恐怖に『慣れ』ました。

(あまり見る秒数が長すぎると誤解を招くのでほどほどに)

三島由紀夫も子供の頃、大人相手に同じようなトレーニングをして恐怖心を克服したと、本で読んだ記憶があります。

■一度克服法を覚えると二度克服できる

実は中学生のときに視線恐怖が一時的に再発しかけた時があって、その時もこの『目線ルール』と運動で身体を活発にすることで克服することができました。

その後もあったけど、それも克服できました。

二度再発して、二度克服した形になるのかな?

書きたいことは山ほどあるけど、長くなるので略。

役に立たないかもしれませんが、自分の体験談が誰かの参考にでもなれば幸いです。




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1人旅をこよなく愛する暇人。自然と動物が好き。知識なしで会社経営を始めて現在泥臭く奮闘中。投資経験ゼロから半年で10万円を3200万円に!元インドア男から現在格闘家。なんでもやってみて案外なんとかなってる人。