もし自分が明日死ぬと分かっていたなら、今何をやりたいですか?
『世界一周したい!』『豪遊したい!』『やりたいことやりたい』、なかには『可愛い姉ちゃんと遊びたい』なんて人もいるかもしれません(笑)
昔こんな内容の本を図書館で読んだことがありました。
『今日が人生最後の日』。たしか、患者の臨床に立ち会っている看護師が書いた本みたいで、余命残りわずかな患者が死の間際に何を考え、何を思っているのか、書いてありました。

その大半は『後悔の言葉』みたいで、
『愛する人に、ありがとう、を伝えればよかった』
『もっと家族と過ごす時間を大切にすればよかった』
『自分をもっと幸せにすればよかった』、など家族や愛する人への後悔
『もっと自分自身に忠実に生きればよかった』
『あんなに一生懸命働かなくても良かった』
『夢をかなえるために全力を尽くせばよかった』、という行動の後悔。

結局、生きてるうちは『ずっと生きてられる』つもりになって、やりたいことを後回しにして、安定を求めてしまうけど、
いざ『死』が現実のものとなって迫ってきたときに、自分が今まで守ってきた『安定』ってなんだったんだ、と思うと同時に『行動しなかった後悔』がザーッと押し寄せてくるんですね。
死を間際に控えると、生きてる間に築いた富や名声、地位など形あるものが何の価値もなくなり、自らが体験したこと、感じたこと、愛する人との思い出、など形ないものしか残りません。
この本を読んだとき、自分はまだ鹿児島の田舎に住んでいて、実家の農業を手伝ったり、養鶏場でニワトリの飼育をしていたり、仕事もせずゴロゴロしてる時期もありました。
しかしこの本を読んでふと思いました。
『やりたいこといっぱいあるじゃん』
住み慣れた田舎でひっそりと暮らすのを望んでたと思っていたのに、実はチャレンジするリスクを避けてただけだったんですね。
そのとき思い浮かんだのが
『世界の秘境巡りしたい』
『宇宙旅行したい』
と、どれも自分にはハードル高そうなものばかりでした。
なので
『マラソン大会参加したい』
『スキューバダイビングしたい』
『スカイダイビングしたい』
『格闘技やりたい』
『オセロ大会出場したい』
みたいに比較的簡単そうなものから叶えてみたいなーと思うようになって、
そこから偶然に偶然が重なって、
マラソン大会、
スキューバダイビングは
スカイダイビング、
全部実現し、
はじめはハードルが高いと思っていた
『格闘技』が5年後(弱いけど)、
『オセロ大会』は6年後(準優勝)
自分のやりたいことが分かってから、淡々とした毎日に色がつき、田舎では味わえなかった濃い時間を過ごすことができました。
この本との出会いは運命だったと思います。
もし毎日が『作業』のような日々になってる人がいたら、自分の死期を想像してみてください。
このまま生きていったら、死の間際に自分は何を思うか。あるいは自分の死後、自分の墓碑にはどんな言葉を刻んでいるのか。
そのイメージ通りになるといいですね!